平均寿命が男女ともに80歳を超える高齢化社会に突入した我が国では、変形性膝関節症を含む運動器障害の治療並びに介護、支援を要する患者数が年々増加しています。厚生労働省の「介護予防の推進に向けた運動器疾患対策に関する検討会」の報告書(平成20年)によると、変形性膝関節症は、有自覚症状者で約1000万人、潜在的な患者は約3000万人と推定されています。変形性膝関節症は、関節変形と疼痛により患者の生活の質(QOL)及び日常生活動作(ADL)を著しく低下させ健康寿命を短縮することから、非常に大きな社会問題となりつつあります。私たちは、変形性膝関節症に伴う様々な関節内組織の変性の過程を学術的に解析することで、新たな治療法や、予防法、効果的な症状緩和の手法の開発を目指しています。
研究内容
1.変形性膝関節症に伴う膝疼痛の緩和を目的とした圧痛点ストレッチ法の効果の検証
軟骨退行変性を主体とする変形性膝関節症で最も患者さんを悩ませるものは膝の疼痛です。変形性膝関節症の保存療法で推奨されているのは、運動療法、非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)、湿布等ですが、全ての患者さんの膝疼痛の緩和に対して必ずしも有効ではありません。軟骨摩耗の低減と抗炎症効果が報告されているヒアルロン酸製剤の関節内注射治療は、国内では広く用いられていますが、国際的にはあまり評価されていません。またこれら治療により関節内の炎症が改善しても、膝疼痛が残存してしまう患者さんも稀ではありません。
私たちは、現在の変形性膝関節症の保存治療における疼痛のコントロールが一部の患者さんにとって不十分である原因が、現在の変形性膝関節症の疼痛治療の方針が、「関節内炎症の緩和=疼痛の除去」という単純化された考えに基づいて行われているためであると考えています。私たちは、関節内炎症がそれほど顕著ではない患者さんの膝疼痛の主体が半数を超える例で関節周囲組織由来であることを経験しています。つまり、他の医療機関で通常の保存治療を受けたにも関わらず、膝疼痛が残存して当院を受診した変形性膝関節症患者さんの少なくとも半数例で、膝周囲組織に強い圧痛点(押すと強い痛みが生じるポイント)が存在し、圧痛部の疼痛を惹起する方向へのストレッチによって、即効性のある著明な疼痛軽減効果を確認しています。また、圧痛点は膝伸展機構、特に膝蓋骨や膝蓋腱周囲に最も多く分布していることが観察されました。本結果は、変形性膝関節症の疼痛緩和のためには、従来の関節内を標的とした消炎鎮痛だけでなく、関節周囲組織を含めた膝関節の構成要素を対象とした総合的な疼痛緩和治療指針の再構築が重要であることを強く示唆しています。この考えに基づき、私たちは、2015年度から、日本医療研究開発機構(AMED)の研究資金援助を受け、従来の保存療法に加えて圧痛点ストレッチ法を行うことにより顕著な疼痛改善効果が得られることを実証するための臨床研究を行なっています。
2.関節炎症に伴い誘導された膝疼痛が慢性化する機序の解明
関節内組織の損傷に伴う関節炎症は、関節軟骨の退行性変性を誘導し、変形性膝関節症の原因となり得ます。程度は非常に緩やかではありますが、加齢に伴う変形性膝関節症の発症も、非常によく似た機序で起こることが予想されています。そのため、関節炎症がどのように膝組織の変性や膝疼痛を誘導するかを実験的に明らかにしていくことは、変形性膝関節症の病因を知るうえで非常に大切なことです。私たちは、ラットの膝関節炎誘導モデルを用いて、その機序の解明を試みています。これまでに、用いる炎症誘発物質の量をコントロールすることで、急性炎症-消退モデルと、慢性炎症モデルを再現することに成功しました。この動物モデルを用いて、膝疼痛の慢性化に伴う膝組織の変化を詳細に解析しています。
3.膝疼痛の客観的指標の確立
痛みの感じ方は、人それぞれです。我慢強い人もいれば、そうでない人もいます。また、人は気分がすぐれない時や落ち込んでいるときに、より強い痛みを感じることが知られています。そのため疼痛に対する治療の効果を正確に評価するためには、個人差をできるだけ排除し、いかに客観的な指標を確立できるかが、重要なポイントとなってきます。現在私たちが指標としている痛みの強さは患者さんに対するアンケートが主となっていますが、これらは全て患者さん本人の主観によるものです。私たちは、より正確に圧痛点ストレッチ法による膝疼痛改善の効果を評価するために、fMRI(機能的核磁気共鳴映像法)を用いた評価基準の構築を試みています。私たちが痛みを感じる時には、大脳の痛みの知覚を司る領域の血流量が増加することが知られています。私たちは圧痛点ストレッチ法の効果を調べるために、この方法の応用を試みています。